映画時事評

胸の奥のロック魂を呼び覚ます映画――『ボヘミアン・ラプソディ』

LUX · 2026年10月19日


すべてを手に入れたはずなのに、どこか釈然としない。

すべてを手に入れたはずなのに、どこか釈然としない。

ブライアン・シンガー(実際には半分以上を完成させたデクスター・フレッチャーも含む)が手がけた『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)は、世界興行収入9億1,000万ドルを記録し、歴代最高の興行成績を誇る音楽伝記映画となった。

ラミ・マレックは本作でアカデミー主演男優賞を受賞。作品も第91回アカデミー賞で、主演男優賞に加え、編集賞・音響効果賞・音響編集賞を獲得し、最多の4部門受賞を果たした。

ところが本作は、公開直後から正反対の方向を向いた二つの批判に同時にさらされた。批評家からは「史実を無遠慮に並べ替えた怠慢な伝記映画」と酷評され、クィアの批評家からは「フレディ・マーキュリーの人生を、異性愛者の観客が受け入れやすいように編集している」と批判されたのだ。

すべてを手に入れたはずなのに、どこか釈然としない。2

『ボヘミアン・ラプソディ』レビュー――20分間のライブ・エイドは完璧だった。それでも、この映画のフレディは半分しか信じられない

結論から言おう。私はこの映画の後半20分、つまり1985年のウェンブリー・スタジアムで行われたライブ・エイドの再現シーンを見るたびに鳥肌が立つ。セットリストや衣装、カメラワーク、ピアノの上に置かれたビール缶の位置に至るまで、オリジナル映像と照合しながら一コマ単位で再現されたこの場面は、伝記映画が成しうる最高水準の再現力を示している。

しかし、この映画が描く「フレディ・マーキュリーという人間」については、私は半分しか信じていない。ステージ上の真実と舞台裏の真実の間で、本作はあまりにも多くの要素を編集し、並べ替えているからだ。

『ボヘミアン・ラプソディ』レビュー――20分間のライブ・エイドは完璧だった。それでも、この映画のフレディは半分しか信じられない

ステージ上の再現と舞台裏の脚色は、別の映画だ

この映画は、実質的には二つの異なる作品だ。一つは、ドキュメンタリーに近い考証によって作り込まれたライブシーン。もう一つは、その間をつなぐ人生の物語だ。こちらでは、ドラマ効果を狙って時系列が入れ替えられ、人物が再配置され、出来事が圧縮されている。

最も議論を呼んだのは、HIVの診断時期である。映画では、フレディがライブ・エイドのステージに立つ直前、自身がHIV陽性であることをバンドのメンバーに打ち明けたように描かれる。

しかし実際に診断を受けたのは1987年4月で、ライブ・エイドが開催された1985年7月からおよそ2年後のことだった。この点について、「エイズをドラマチックな逆転の仕掛けとして消費している」という批判が出たのも無理はない。

病気をステージ復帰の動機として組み替えたことで、エイズを「放蕩な生活への報い」のように受け取らせかねない危険なクリシェに陥っている、という指摘である。

ソロ活動をめぐる時系列も、実際とは異なる。映画では、フレディがバンドに隠れてソロアルバムを進め、裏切り者のように描かれる。だが実際には、ドラマーのロジャー・テイラーが、すでに1981年と1984年に2枚のソロアルバムを発表していた。

つまり、バンド内で個人活動を行うことは、すでに慣例になっていたのだ。さらに、ベーシストのジョン・ディーコンの存在感は極端に薄められ、実際にフレディをアウティングした人物であるマネージャーのポール・プレンターは、映画の中で彼をドラッグと享楽の世界へ引き込む「堕落の元凶」として再構成されている。

ステージ上の再現と舞台裏の脚色は、別の映画だ

なぜこの映画はこう作られたのか――監督が3度入れ替わった作品

この映画の製作背景そのものが興味深い。

クレジット上はブライアン・シンガー単独監督となっているが、実際には撮影終了の2週間前になってもシンガーが現場に姿を見せないことが繰り返されたため解雇され、デクスター・フレッチャーが残りの撮影とポストプロダクションを仕上げた。

全米監督協会(DGA)の規定により、監督クレジットはシンガーにのみ与えられ、フレッチャーは製作総指揮として記載された。

さらに重要なのは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが、製作総指揮および音楽監修として全工程に関わっていたという事実だ。

つまり本作は、現存するバンドメンバーが、亡くなった仲間の物語を自ら編集してスクリーンに送り出した、いわば自己物語化された伝記映画なのである。

バンドの友情と結束というメッセージが際立ち、フレディ個人の私生活やセクシュアリティが相対的に慎重に扱われている理由も、ここから推測できる。

なぜこの映画はこう作られたのか――監督が3度入れ替わった作品

皮肉な側面もある。

2019年以降、複数の男性が、未成年だった時期にブライアン・シンガーから性的暴行を受けたと告発したという報道が相次いだ。

友情や真実味、自分らしく生きる勇気を語る映画の背後に、監督をめぐるまったく異質な疑惑が存在している。この事実は、本作を見返すたびに心に引っかかる。

なぜこの映画はこう作られたのか――監督が3度入れ替わった作品 2

本当の争点――問題は「美化」よりも「編集された真実」だ

この映画への批判について、私は「実話の美化」よりも、「編集された真実」こそが本当の問題だと考えている。

劇中でフレディはメアリー・オースティンに「僕は男性も好きなのかもしれない」と告白する。すると恋人のポール・プレンターは、すぐさま「フレディ、君はゲイだ」と断定する。

この短い一言によって、映画はフレディのバイセクシュアリティを事実上消し去ってしまう。実際には、彼は生涯にわたって複数の女性とも男性とも関係を持っていたとされている。

本当の争点――問題は「美化」よりも「編集された真実」だ

クィアな欲望の描き方も、一貫して否定的だ。

ポール・プレンターとの関係は強引なものとして描かれ、後に最後のパートナーとなるジム・ハットンとの出会いでさえ、同意を欠いたまま消費される場面として演出されている。

一方、メアリー・オースティンとの関係は、映画を通じて最もロマンチックで安定した愛として描かれる。結果として本作では、「異性愛的な愛」は本物として描かれる一方、「クィアな人生」は堕落と喪失へ至る道のように配置されている。

もちろん、反論の余地もある。

大手スタジオが配給する12歳以上推奨の商業的な伝記映画に許される表現の幅には限界がある。2時間あまりの上映時間に45年に及ぶ人生を収めるには、何らかの編集と単純化は避けられない。

しかし、その編集の方向性が、クィアな人生を危険で破壊的なものとして描き、異性愛的な関係を回復と安定に結びつける形に一貫して偏っている以上、私はこれを単なる「ドラマ上の脚色」の範囲に収まるものとは思えない。

本当の争点――問題は「美化」よりも「編集された真実」だ 2

それでも、この映画を切り捨てられない理由

それでも本作を完全に切り捨てることができない理由は明確だ。

ラミ・マレックはこの役のために、フレディ・マーキュリー特有の前歯の形を再現した義歯を装着し、バレエやステージパフォーマンスのトレーニングを受け、実際のライブ映像を一コマ単位で分析して身振りを体に刻み込んだ。

その成果がアカデミー主演男優賞という評価に結びついた事実そのものを、否定するのは難しい。

ライブ・エイドの再現シーンでは、実際の会場であるウェンブリー・スタジアムに匹敵する規模のセットをボービントン飛行場に再現し、数百人のエキストラを動員して、当時のセットリストをほぼそのまま20分間にわたって演じている。

史実をめぐる議論とは別に、このシーンが観客にもたらす感情的なカタルシスは本物だ。

文化的な影響も無視できない。本作の公開後、クイーンの楽曲カタログは再びチャートを賑わせ、Netflixや映画館では、その後『ロケットマン』(2019年、エルトン・ジョン)に代表される音楽伝記映画のブームが続いた。

史実よりも神話を選んだ映画が、結果的に一つの世代にクイーンというバンドを新たに発見させたのである。

それでも、この映画を切り捨てられない理由

いま私たちに残されるもの

この映画を見返して感じたのは、音楽伝記映画というジャンルそのものが抱えるジレンマだった。

実在の人物の人生を、本人の死後に再構成するとき、その物語を誰がコントロールするのかが、作品の手触りを決める。本作は、バンドの現存メンバーたちが亡くなった仲間の物語をともに作り上げた作品だ。その結果、ステージ上の神話は完璧に再現された一方、舞台裏の一人の人間は慎重に扱われ、部分的には歪めて描かれている。

一人の人生をスクリーンに移し替えるとき、どこまでが追悼で、どこからが編集なのか。本作は、その境界について長く考えさせる。

いま私たちに残されるもの

『ボヘミアン・ラプソディ』の結論――星3.5/5

演技、とりわけラミ・マレックによる憑依したようなステージ再現と、後半のライブ・エイドの完成度は、なぜアカデミーが賞を贈ったのか納得できるほど圧倒的だ。

しかし、人物の私生活やセクシュアリティの扱いには、実話を描く伝記映画として最低限求められる誠実さへの疑問が残る。私の評価は3.5点。ステージは完璧に再現したが、舞台裏の人間は半分しか描かなかった映画である。

『ボヘミアン・ラプソディ』の結論――星3.5/5

よくある質問(FAQ)

『ボヘミアン・ラプソディ』は実話をもとにした映画ですか?

大枠――クイーンの結成、フレディ・マーキュリーの人生と死、1985年のライブ・エイド公演――は実話である。ただし、個々の出来事が起きた時期や因果関係は、ドラマ効果を狙って大幅に組み替えられている。特に、HIVの診断時期をライブ・エイド直前に設定した点と、ソロ活動をめぐる時系列は、実際の歴史とは異なる。

ライブ・エイドの前にフレディ・マーキュリーがHIVと診断されたという設定は事実ですか?

いいえ。実際の診断時期は1987年4月とされており、ライブ・エイドはその約2年前の1985年7月に開催された。映画ではドラマチックな緊張感を生み出すため、診断時期を公演直前に前倒ししている。この点は公開当時、「病気を物語上の装置として消費している」と批判された代表的な部分だ。

『ボヘミアン・ラプソディ』がフレディ・マーキュリーのセクシュアリティを歪めたという批判は妥当ですか?

一理あると思う。映画はフレディのバイセクシュアリティを事実上消し去り、彼をゲイだと断定する台詞で処理している。また、マネージャーのポール・プレンターを誘惑者であり、堕落の元凶であるかのように悪役化している。実際、プレンターはフレディをアウティングした人物だった。一方、メアリー・オースティンとの異性愛的な関係は、映画を通じて最も安定した愛として描かれる。この対比によって、クィアな人生が危険なものとして読まれてしまうという指摘がある。

『ボヘミアン・ラプソディ』がフレディ・マーキュリーのセクシュアリティを歪めたという批判は妥当ですか?

ブライアン・シンガー監督はなぜ途中で交代したのですか?

撮影終了の2週間前、ブライアン・シンガーが現場に繰り返し姿を見せなかったため、製作会社から解雇され、デクスター・フレッチャーが残りの撮影とポストプロダクションを仕上げた。ただし、全米監督協会の規定により、監督クレジットはシンガー単独となり、フレッチャーは製作総指揮として記載された。その後、シンガーは複数の男性から、未成年だった時期に性的暴行を受けたという告発を受けた。

ラミ・マレックはなぜアカデミー主演男優賞を受賞したのですか?

フレディ・マーキュリー特有の前歯の形を再現した義歯を装着し、バレエやステージパフォーマンスのトレーニングを通して、実際のライブ映像に見られる身振りを細部まで体得した点が高く評価された。特に後半20分のライブ・エイド再現シーンで披露した身体表現は、本作が主演男優賞・編集賞・音響効果賞・音響編集賞の4部門を受賞するうえで大きな役割を果たした。

『ボヘミアン・ラプソディ』と似たテイストの音楽伝記映画はありますか?

同じ製作陣の一人であるグレアム・キングが参加した『ロケットマン』(2019年、エルトン・ジョン)が、よく一緒に語られる。実在のミュージシャンの人生をステージパフォーマンスと組み合わせて描く点は似ているが、『ロケットマン』は史実よりもファンタジー的な演出を前面に押し出している点でアプローチが異なる。両作品を見比べると、「実話をどこまで脚色するのか」という問いに対する正反対の答えが見えてきて興味深い。

キム・ジフン 記者
ALJIstory 編集長

見えない裏側の真実に迫る深層批評

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